
キーワード:地下室(地下ホール)
「パーキーパットの日々」 (フィリップ・K・ディック 大森望 訳) 原題 The Day of Perky Pat
核戦争後、人々は地下ホールに引きこもりがちとなった。大人たちはパーキーパットと呼ばれる人形片手に今日も遊んでいる。物資は、ケアボーイと呼ばれる職員が隔日投下してくれる。ある日、ノーマン・シャインの息子ティモンは、今住んでいる地下ホールとはちがう世界について気になった。調べると、コニーコンパニオンと呼ばれる人形遊びが流行っていることを知る。試行錯誤して、辿りついた地(穴?)でベンフェニモアと出会う。そこで出会った人々とコニーコンパニオン人形ごっこをするのだが・・・。
はじめ、「フィリップ・K・ディックってだれだ?」と思ったが、調べると、「アンドロイドは電気羊の夢をみるか」の著者だとわかった。映画名のほうが有名かもしれない。「ブレードランナー」である。
「パーキーパットの日々」を読んでいて感じたのが、ある種の喪失感を地下ホールに、抜けられない過去の栄光をパーキーパット人形として表しているのではないかと。たとえば、
人形の模型:家のクローゼット・寝室の衣装(カプリシャツ)・白のコットンショーツ・セーター
以前の自分:カシミアのジャケット・ツイードのスーツ・イタリア製のスタッツシャツ・イギリス製の靴・ジャガーのXREスポーツカー・1963年製のメルセデスベンツ
といった感じである。
途中、パーキーパット人形と類似したコニーコンパニオン人形がでてくる。ある出来事があり、シャイン親子は衝撃をうける。父親が息子にいった言葉が印象的である。
「コニーは成長しなくちゃならない。それで連中も彼女といっしょに成長するしかなくなった」
だからティモンも成長するんだ・・・と続くわけだが、まるで我々読者に対して語っているように思えた。成長しなくては・・・。さて、今わたしたちは過去から成長しているだろうか?